菜々子の生活記録と戯言

かなり適当な言葉に言葉を連ねる住処

極めて酷い頭痛と連続した閉塞感による、究極の辛さ

絶不調。本日の六条菜々子はとんでもなく絶不調です。

今日の日記はかなり落ち込み要素強めになるかもしれません。

 

最近強くでている内耳付近の閉塞感と頭痛の症状、どうにかならんものでしょうか。途中、座っているのもやっとでほとんどの時間を布団の上で過ごしてしまいました。頭痛薬はあくまでも止めたり緩和させるものなので、わたしにはどうやらあまり効かないようで。けれど、少しでも効くならと思って常備薬の一つになっています。

悪夢と起き上がれない現実を見続けてうんうん唸っているあいだに、外はすっかり真っ暗。24時間というものはとんでもなく儚いものであります。誰かが言っていました。1日が48時間であればいいのにと。そうすればわたしの生活時間にも少し余裕が生まれるかもしれませんね。

 

体が言うことをきくようになれば、近くにある川辺の紅葉でも見に行きたいと思っているのですが、どうなることやら。

比較的体調が良い時であっても、出かける寸前に立っていることが辛くなる事もあります。だからといって、どうのということではありませんが。

わたしの気持ちとして、自らの体調を理由にして…言い訳をしたくないのです。余計な心配をかけたくないので、出来るだけ平然を装いたいのです。だからこそ、それすらできない今の自分の状態が、精神的にも辛い。

 

辛い辛いと思っていてもより辛くなるだけなのでやめたいのですが、体が言うことを聞いてくれない。

むしろここまでくると諦めの気持ちが強くなってしまいます。いつまでこんなことが続くんだと、ふと考えてしまいます。この先にゴールは存在しているのでしょうか。それとも、ずっと伴走しながら付いてくるのでしょうか。

 

焦ってはいけませんよ。ゆっくり時間がかかりますから…。今はひとまず休んだほうがいいですよ?

そうお医者さんは言ってくださいますが、やめようと思っても焦ってしまう。まるで出口の見えないトンネルを永遠と歩かされているような、そんな感覚です。どこまで続いているのでしょうか、この道は。

気持ちだけでも明るくしようと思いますが、それすらできない自分に嫌気がさしてしまう。頑張りたい。

んま、今日が偶然調子の悪かった日、ということで。

 

ただまあ、足が動かせなくて自由に歩くことがままならなかった数年前の自分に比べれば、まだ余裕があるはず。あの当時は寝返りすらまともにできなかったので、本当にどうしたものかと毎日頭を抱えていたものです。

 

余談ですが、寧々さんに『頑張ってるね』と言われてあああ、いや頑張れてないんじゃー。そんなこと言わないでー。と返事せざるを得ませんでした。

茜霧島を大人寧々さんと一緒に呑みたい。

あと、今日の日記サブタイトルのネタ…伝わっていますかね。