菜々子の生活記録と戯言

かなり適当な言葉に言葉を連ねる住処

放浪息子 雑感 その4

放浪息子とはなんぞやと聞かれたときに、わたしがよく言っているのは「不可逆的な物語」です。

 

※以下ネタバレを含みます。

 

正直なところ、あまりジャンル分けが好きではないのですが、ここではあえて。

一般的には、こういったいわゆる女装、男の娘、性倒錯ものは可逆的な作品が多い印象です。

たとえば、少し前に流行った『異世界転生』と同時に性転換!とか、『男の娘』だから、別にそのままでいいよといった周囲に認められる方向にしか進まないとか。ざっぱにいうならば、性別という部分に焦点が当てられることはほぼ無いに等しいでしょう。

 

ところが、この放浪息子という作品は恐ろしい。

スタートは主人公が小学生から、終わりは高校生。つまり、成長期真っ只中で体が変化していく過程がしっかり描かれているわけですね。怖い。

初めのうちは主人公が女の子に『間違われる』という前提条件がありました。そう、あくまでも修一くんはかなり自然体だったわけですね。

それが後半に進んでいくにつれて、意識的に女装をするようになっていきます。ここから『間違われる』ではなく『装う』の段階へ移行していきました。

元から本人たちは女装と言っているじゃないかと思われるかもしれませんが、よく考えてください。修一くんは初めのうち、女装をしていなくても女の子だと思われてしまうシーンが存在していました。それが、後半は女装を意識的にしないといけなくなっています。要は、成長してしまったというわけです。

セリフがなくとも、描き方が変わっているので、明らかに男の子だと分かってしまうのです。作中で「自信があった」と過去を振り返るシーンがありますが、まさにその通り。自身のことを『恵まれたいびつな箱である』という場面がありますが、この言葉には様々な意味が隠されていると思っています。

それは、容姿・環境・人間関係などです。実際のところはわかりませんが、自信がないと異性装なんてできないと思うのです。それを実行している彼にとって、それは恵まれている。しかし、それは過去のお話。だからこそ、自分の中では一致しないため、いびつである。

性別に限らず、こういうことはよくあることです。

本人がその状態のいびつさに気づいた時には、すでに周りは気づいているということです。それゆえに、真帆ちゃんが安那ちゃんに対して「そのうち限界来ると思うけど、いい?」というセリフを投げる場面があるのです。その直後に女装した状態の修一くんが行ったアクセサリーショップの店員さんに、男の子じゃないかと疑われるシーンがあるのはきっとそのためでしょう。

 

では、また。