菜々子の生活記録と戯言

かなり適当な言葉に言葉を連ねる住処

根本的には他人と関わりたくないということ

私が他人と関わりたくないことは、自分でもよく理解しているつもりです。

だからといって、関わってくる人たちを拒絶するわけではありません。

 

例えば、趣味が同じで話が弾む相手というのも多少います。

仕事の上でどうしても話さないといけない、取引先の方もいらっしゃいます。

決して同じ扱いというわけではないですが、それぞれの役があるということです。

 

プライベートの私は、基本的にお酒が入っていない状態ではなにも話しません。

生きているか怪しいほどに、無言を貫いています。

会話をするという行為そのものが、私は嫌いなのです。

なにを言っているんだと思われるかもしれませんが、話をすることが嫌いなわけではないです。

 

あくまでも、私は傍観者でありたいのです。

当事者には、なろうと思いません。

物語でいえば、主人公などではなく、村人Aの家族くらいの立ち位置がいいですね。

 

他人の役に立つことなら、好んで行動に出ます。

ですが、自分だけにしかメリットのないことは基本悩みます。

 

お酒が入ったときだけ、そのリミッターが外れますね。

以前に自分の素の状態が分からないと書きましたが、お酒が入った状態でも役を演じ続けているので、その仮面が取れることはないです。

これは断言できます。

 

自己開示が大事だとよく言われていますが、開示する情報などあるのか。

もはや嘘を吐き続けている私には、どこまでが真実なのか、それとも真実の嘘なのか、嘘の真実なのか、分からないのです。

すべてが嘘だと言ってしまったほうが、真実に近しいのでしょう。

 

まず、自分というものがないという時点で、私はどこか欠けていると言わざるを得ませんね。