菜々子の生活記録と戯言

かなり適当な言葉に言葉を連ねる住処

他人との境界

他人に対しての境界について、書きます。

 

振り返れば、私は他人との接点を極力持たないようにしていました。誰かと一緒にご飯を食べるという思考がなかったので、学生のときは「なんで一人で食べてるのか」と聞かれたものです。

私自身はそこに疑問を持たなかったのです。なんでというよりも、一緒に食べるものなのか、と思ってしまったほどです。

他人と話をするという習慣もなかったので、一緒にいるときに「なんで黙ってるの」と言われたこともあります。怒っているとか話したくないとか、そういうわけではないんです。

誰かと話をするという文化自体が、私の中になかったのです。

 

ですが、最近変わりましたね。人って変わるもんですね。他人と話すことが楽しいかもしれないと、そんなことをふと思ったのです。

今まではどこまでいっても、自身は傍観者であるべきだと心のどこかで思っていました。そのため、他人の行動に影響が及ばぬようにできるだけひっそりと生活を送っていました。

 

はっきりいうと、私は他人と話したくないです。未だに怖いんです。なんでこんなに他人という存在自体への恐怖を抱えているのか、全く分かりません。この十数年、変わらない感情です。

話さないと生きていけないんですね。ゆえに私はわたしという存在を作って、うわべの付き合いをしてしまいます。本当に失礼であることは、存じているんです。しかし、そうしなければ話せない。

嫌いとか好きとかじゃなく、ただ単純に怖い。

 

感情をいかにして無くし、わたしを演じて生活するか。そんなことばかり考えてしまうわけです。そのせいか、他人から見る私は近寄り難いそうで。そりゃそうですね、近寄ってほしくないと心の底では思っている訳ですから。

絶対的境界線を、超えてきてほしくない。

 

そんなことばかり考えていましたが、1月も終わりです。みなさま、お体には気をつけてくださいね。