菜々子の生活記録と戯言

かなり適当な言葉に言葉を連ねる住処

宮城県へ行った話。二日目

この日にすることは決めていた。まずは自転車を借りよう。

そう思い足を進めていく。最近は便利な世の中であり、以前とは違いすべて電子的な手続きのみで自転車をレンタルできる。ようは人を介する必要がないのだ。

アプリからQRコードを読み取って、自転車の鍵が開く。いいんだか悪いんだか『どこまで行くんですか』『あっちのほうもおすすめですよ。景色いいですから』というようなやり取りは存在していない。

 

早朝の仙台市内を自転車で駆け抜けてやってきたのは、荒浜にある深沼海水浴場だったところ。

この近くに震災遺構がある。それ目当てでやってきたというのもあるが、一番はこの海を見たかった。そう。わたしはただ海を眺めたかったのである。ただやはりというか、わたしは海が苦手だ。あの日以来、海に近づくと気持ちが辛くなる。だからなんだとなるかもしれないが、わたしの気持ち的な問題だった。

現在この海水浴場は遊泳禁止になっている。

 

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慰霊碑で黙祷し、荒浜小学校をあとにして再び市内の方向へ進んだ。

 

その後は仙台駅前まで戻り、仙台城跡などを見て回った。

城跡の石垣上から見る仙台市内の景色はとても綺麗だった。それこそここで終えたいと思えるような絶景だった。とはいっても、やはりわたしの写真技術が足りていないのかあまり伝わりそうにないのが、非常に残念である。

 

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宮城県へ行った話。一日目

今日の日記は、過去の振り返り日記です。もう数ヶ月前の話です。

 

旅。旅行。

風の吹くまま、気の向くままに旅立つ。それがわたしの旅行に対する考え方です。

なので、最低限の資金と身の回りのものを揃える以外はあえて決めたり持ったりしない。

困った時は、それなりに対処方法を知っているのでそこに備えるようなことはしない。

 

心配と不安は捨てて向かう。それだけでいいのです。

 

前日に予約した夜行バスに乗り、いざ仙台へ。

日本国内の旅行しか興味がないわたしですが、北へはあまり行っていなかった。

というわけで、宮城県への訪問が叶えばそこがわたしの移動最北端ということになる。

 

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途中、色々とあったがなんとか早朝の仙台駅前に到着。

感想。寒い。夏であるにもかかわらず、とんでもなく寒い。

これが北へ進むということの意味なのだろうか。

 

この日にすることは決めていた。女川へ向かわねばならない。

電車の時刻表を見て、女川へ向かうことができる電車を調べる。切符を買って、人のまばらな電車へ乗り込む。

電車に揺られ、松島も通り過ぎて女川へ到着。

まず向かったのは海の方向だった。ここが女川か……と思いながら目を瞑る。

そのとき気が付かなかったのだが、まずわたしは駅の近くにある慰霊碑へと足を運んだ。

高台にある慰霊碑に刻まれた名前を確認して、黙祷をした。

時間は特に決めず、表現があっているのかは分からないがわたし自身の気が済むまで続けた。

 

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そこから海近くのレンタサイクルに行って自転車を借り、さらに北へと進んだ。

道に迷いながら、一時間近く走り続けて旧女川第三小学校を横目に、そのまま漁港に進む下り道を一気に駆け降りた。

会う人はいない。ただひたすらにこの場所の空気を吸いたかった。

 

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そのまま女川駅前まで一時間かけて戻り、遺構として残されている女川交番と展示を見た。

様々な感情が湧いては消えた。

それでも前に進もうとしている女川という町、わたしはこれからも訪れようと思う。

 


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ハッピーエンドなんて嫌いだ

物語を追体験するならば、あなたはバッドエンドを望みますか、それともハッピーエンドを望みますか。

わたしは迷わずバッドを選ぶでしょう。

 

本当にそうなりたいかは別にして、わたしは自分自身が幸せになれるとは思っていません。

これまでの経験上、どっちつかずか不幸な道へ進むと思いすでに受け入れてしまっています。これからだよ、なんて軽い言葉はかけないでほしい。そんな黒い感情をもっているわけです。

ほんの少しでも幸せになれると思って進んだ道は、ほとんどが真っ黒でした。いったい、どこでそれぞれの選択肢を間違えたのでしょう。

だからこそ、今のわたしはまるでなにかを避けるみたいな生活を送ってしまっていますね。ここ数年。きっとあまり良くはないのでしょうが、一気に黒染めされてしまうよりはマシなのだと思い込んでいます。そう、あくまでも思い込みです。

人間なんてのは結局、自分自身の信じていることで現実世界を覗いているにすぎないのです。そんなことさえも、ふと忘れてしまうのがまた。

 

実際、過去のわたしが書いた作品では主人公が物語りの輪から抜けてしまったり、自殺してしまったり、消失してしまったり、と散々な結末を迎えることは特に珍しい話ではありません。

軽めのものであれば、意中の人とすれ違ったままエンディングを迎えるものもありました。

 

ただやはり、ハッピーエンドを望む声はある程度存在しているみたいで。

『次はハッピーエンドがいいです』

なんてわたしに言われてもと困ったこともありました。

 

まあ、現実世界ではなく物語りでは幸せにしてあげるというのもまた良いかもしれません、ね。

citrusサイン本げっと

先日ツイッターをなんとなく眺めていたところ、こんな言葉が流れてきました。

citrusサイン本抽選販売』

え…!? となったわけです。

 

抽選というものに縁がないわたくし、良い機会だと思って挑戦してみたわけです。

どうせいつも通り当たらないんだろうなぁとか考えながら。

やけ応募なんてそんな言葉はないけれど、そういう気持ちでした。なので、抽選発表の日すら忘れていた。存在自体を完全に忘却していた。

 

とても失礼なことをしていたわたしに、こんな感じのとあるメールが届きます。

『当選のお知らせ』

もしかして迷惑メールかなにかが入ってきちゃったか?

と思いつつ開いてみると、なんだか見覚えのあるサイン本の内容がつらつらと書かれてあり、そこでようやくこれが本物の当選メールだと確信を得ました笑

 

自分の名前が書かれていることを何度見てもいまだに信じられていないのですが、それ以上にこのアートブック自体が尊みが有り過ぎて開くたびに心が昇天しそうになります。幸せそうな二人の姿を見られるだけでありがたいのです……。

 

某映画の先行上映に当たった話もあるのですが、それはまた別の機会に。

別の考え方になったよ

気が変わるのは悪いことじゃない。

これはわたしが好きなある漫画での台詞なのですが、この言葉を大事にして生きてきました。

 

例えば、ずっとAという物事が一番好きだったとして、途中でやっぱりBの方が合ってるかもしれないなんてのは、人生においてなんら不思議ではないと思うのです。

生まれ落ちた瞬間からずっと一貫した考えしか持っていないとすれば、その人はきっと頭がとんでもなくかたいのでしょう。もしくは、考え方が変わらないことに価値をおいているのかもしれない。どこにどれくらいの価値を見出すかは、人それぞれなのだから。そんな当たり前のことを、ふと忘れた瞬間にきっと認識の齟齬が生まれてしまう。悲しい。

 

先入観や思い込みなんてくだらないものは、さっさと捨ててしまいましょう。笑

 

きっとわたしは不安なんだと思います。ずっと真っ暗闇の中をひたすら走り続けた先にあったのは、ゴールでもなんでもなかったわけで。

ひとまず今は自分を信じることから、頑張って乗り越えていきたいですね。