無理しないという縛り
今日の日記から自分の感情をできるだけ入れていく。
感情に蓋をしない練習を兼ねているので、それが嫌な方は読み進めないで頂きたい。
体調が悪いとき、他人はそれに気づくと「無理しないで」と言う。
だがそれはなんなのだろう。
わたしにとって、無理をしなければ日常生活は破綻するだろう。
朝から活動できない、外出できない、もはや起き上がることさえ不可能だ。
はっきり言って辛い。
朝から動けるように投薬を続けているわけだが、なかなかうまくいかない。
理解されていないと思い込んでいるだけなのかもしれないが、否定され続けた過去を忘れられない。
これは怠けなのだそうだ。
無理をすることと限界を超えることは別物。
無理をすることは認識できるのだが、限界を超えたことに気づいたときにはすでに手遅れということはそう珍しい話ではない。
これまでの辛さが単なる怠けであるなら、どんなに楽だっただろう。
ちなみにここまでで分かる通り、わたしには実質の活動時間に制限がある。簡単に言えば、しっかりと意識が働く時間とも言える。
だいたい16時から無理せずに動けるようになる為、実質一日9時間弱ほどしかない。
睡眠時間を含めてなら、一日約14時間ほどだろうか。
これが普通の日常生活を送る為の事項、二つ目である。