菜々子の生活記録と戯言

かなり適当な言葉に言葉を連ねる住処

時計の話

我が家には現在四つの時計が存在している。

他人を家に招くことは滅多になく、そもそも立ち入ってもらうことにかなり抵抗がある。

その為、時計の存在を話すことはない。だからこそ書く。

 

まずブラウン管テレビの前に鎮座しているアナログ時計。

二つ目は廊下に設置しているアナログ時計。

三つ目は玄関付近に設置しているアナログ時計。

四つ目は電子機器デスクに設置しているアナログ時計。

 

そんなに設置してなにをしているんだ。そう思うだろう。

実はそれらすべての時計は日本標準時とは異なる時を刻んでいる。

 

テレビ時計は標準時+20分

廊下時計は標準時+15分

玄関時計は標準時+10分

デスク時計は標準時+10分

 

すべての時計がずれている。もちろん一秒単位でずれているわけではないが。

家の中で比較的正確に時刻を表示しているのは、電子機器に搭載されている時計のみである。

例えば、スマートフォンやパソコン、DSなど。

 

これまでの様々な経緯により、我が家の時計はすべてバラバラになっている。

こうすることによって、わたしにはやっと『普通の』日常生活を送る準備ができる。

逆に言えば、時計ずらしをする前の生活は目を背けたくなるほどに酷いものだった。

それが時計を標準時からずらすことで改善するとは、いったい誰が気づくというのだ。

 

実はほかにもずらしている時計がある。わたしが必ず身に付けている腕時計である。

こちらは標準時+5分となっている。

ずらしをしているので、自動調節されてしまう腕時計をこの先も使用することはないだろう。

 

なぜそれらが成り立っているのか、ということであるが……。

時刻をずらしている、ということ自体をわたしが覚えていないもしくは思い出せないからこそ成立している。

 

わたしにとって『普通の日常生活』という概念で生きていく為には、自ら縛った事項を守り続けるしかない。

もちろん、それでもうまくいかないときはあるけれど。

機会があれば他の事項も書いていく。