菜々子の生活記録と戯言

かなり適当な言葉に言葉を連ねる住処

文字にする

このブログを今までとは違い、自らの生活記録用として活用する。そう決めてから数日が経過している。

奇妙な話なのだが、わたしは思っていることや考えていることを文字にすることで生きていると深く実感するらしい。

 

包み隠さず言うと、わたしは今まったく執筆の類を進めることができていない。

数年前と同じ現象が起きているので、またアレかと頭を抱えている。

要するに不満が溜まり続けていた。吐き出す機構がない為である。

 

それがどうだろう。こうして日記のような形式で文字起こしすることによって、気持ちがほんの少し晴れた。

ああ、わたしは今生きているんだ。そう思い直すことができた。

言葉を紡いでいないわたしは、死んだも同然。本気でそう思っている。だからこそ、苦しい。

生と死は等価値。白黒ではない。

 

その言葉が真実か幻なのかはさておき、こうして脳内を可視化するという行為そのものに価値を見出しているようだ。

 

これは余談だが、なぜ最近可視化することを『見える化』などという言葉で表現しているのだろう。

特に根拠はないが、この単語をよく目にする。

『普通に』可視化ではいけないのか。謎だ。