赤線という存在
赤線と聞いて、なにを思い浮かべるのか。
赤いペンで線を引くこと、もしくは…なんだろう?
人によって様々かとは思うが、ここではいわゆる昭和二十年代に存在していた『赤線』について記す。
まず遊郭と赤線が同一視されている側面がある。
間違いとは言い切れないのだが、似て非なる存在。
それまでは公娼制度というものがあったが、それに打って変わるものが赤線…こういうと間違いな気がするが。
ようは許可された飲食店で働く女給と合意のもとで行われる買売春の黙認、そしてそれが連なる飲食店、特殊飲食店街と呼んでいたというわけである。
その別称を赤線地帯という。
こう書いてしまうと「仰々しい場所」と認識してしまいがちだが、実際にはそうではなかったらしい。
らしいとしかいえないのは、わたくしがその当時生きていないゆえご了承願いたい。
あくまでも他人を介しての歴史認識や現存する書物からの吸収にすぎない。
端的に書けば、今でいうところの素人風俗に近い。
また赤線地帯という名がつくように、ある程度の店数が固まっている。
映画や小説等で描かれる赤線地帯は少々派手すぎる。実際にはもう少し穏やか。
例えるなら、一杯の日本酒をクッと飲み干した後でほろ酔いのまま、お酒を注いでくれた女給と少し寝るという感じだろう。
もちろんすべてがそうというわけではない。
あるものはお金の為に、あるものは生きる意味を見出す為に、またあるものは……。
十人十色の生活や人生がある。
赤線廃止直前、職業安定所のような施設に大勢の女給たちが押し寄せた。けれど、全員が新天地に辿り着いたわけではない。
だからこそ、赤線廃止後に自殺した者も少なくない。
そこでしか生きる術をもたなかった女が求めたのは、いったいなんであろうか。
ちなみに赤線に関する資料は極端に少ない。ほとんどないと言っていいだろう。
存在ごと抹消されている場所さえある。
遊郭とは異なる、十年ほどの歴史の赤線。
その存在を生きている限り、追い続けたい。